海外投資のGIA長谷川です^ ^
前回は
・何故デモが行われているのか?
・18世紀版:貿易摩擦勃発!
・アヘンの規制強化→英海軍出動
・今も昔も国際問題は難題
についてお話ししました。
1840年:アヘン戦争開始
1842年:南京条約締結で香港割譲
香港がイギリスの植民地になった
歴史的背景が見えてきましたね。
今回は、
「なぜ香港でデモが行われているのか?」
を理解するための香港の歴史、
『②その時間はなんと150年
〜現・香港エリアの誕生〜』
を取り上げます(*´꒳`*)
この時代は、私たち投資家が
香港に資産を置く理由の一つ
『香港ドル』システム誕生の時代
でもあります。
1842年「南京条約」では、
イギリスの目論見通り、
貿易条件の維持・拡大につながる
次の内容が盛り込まれました。
そして1846年
最初の5香港ドル香港紙幣が発行され
1864年
香港独自の初めてとなる
香港ドルコインが発行されました。
清から分離され、
香港独自の経済が
生まれていくことになります。
南京条約で割譲されたのは、
現在の香港エリアの中の「香港島」の部分。
私たちが知る「香港エリア」といえば、
香港島の他に、九龍半島、新界、
と周囲235余の島も含めたこちらです。
南京条約締結後、
イギリス・清とは
外交と通商の問題が続きます。
そうした中、アロー戦争開戦。
「北京条約」が締結されます。
その後
清とフランスの戦争が勃発。
仏軍が台湾、上海、広州を攻めたことで、
イギリスも対仏領土問題発生。
1898年
領土を守る為の新たな条約
「展拓香港界址専条」締結。
「南京条約」「北京条約」
「展拓香港界址専条」3つの条約によって
『現在の香港』となるエリアが
イギリス植民地・租借エリアになりました。
イギリスによる香港の返還は
1997年7月1日ですから、
1842年
南京条約締結から数えると、
香港が植民地となったのは155年間。
この間、第二次世界大戦中の
1941年12月25日〜1945年8月末、
日本が香港を占領した
3年8ヶ月も含まれます。
▼香港を占領した日本軍が軍政庁を置いた
▼ザ・ペニンシュラ香港(九龍)
17世紀初頭
大航海時代に乗り出したイギリスは
世界に広がる大英帝国を生み出しました。
▼かつてイギリス植民地になった場所
▼赤下線:現イギリス海外領土
この開拓の歴史の中で、
自国の繁栄と課題解決のために、
植民地の管理、収益化、金融など、
様々な経験を積みました。
その経験が、
今の私たち投資家が
香港で受けている恩恵を
支える各種制度に繋がっています。
植民地時代の香港は、
イギリスとの公平な民主や
政治参加権はありませんでした。
▼1895年頃の香港島・中環
各条約によって
イギリス領土に決まる前も後も、
住民対イギリスの交戦が
当然ながら起きていました。
その先に出来上がった
現在の金融先進国香港。
あなたにはどう見えるでしょうか?
次回
『中国人の移住と世代交代』
を取り上げます!
どうぞお楽しみに(*´꒳`*)
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※続章はまた後日お楽しみに^ ^
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