みなさんこんにちは、
海外投資のGIA長谷川です^ ^
昨日から
ロシアの話をしているのですが、
ルーブルのチャートを見て
ちょっと悩みませんでしたか?
ざっと見る感じ、
ずっと下がってる・・のですよね(驚
▼こちらはUSD/RUBです
こうじっとみていると、
買っていいものか悩むと思いますので
本日から数回に分けて
ロシアとルーブルの
波乱万丈な過去を
通貨政策を軸にご紹介します(๑╹◡╹๑)
1991年12月25日
ゴルバチョフ大統領が辞任し、
【ソビエト連邦】は終わりを迎えました。
これにより
ロシア共和国が連邦から離脱、
【ロシア連邦】が誕生しました。
初代大統領は、
エリツィン大統領です。
エリツィン大統領は
海外からは人気の高い方ですが、
国民からは厳しい意見が出る方です。
「5歳の時に
1日かけて行列に並んで
砂糖をやっと1個手に入れていた」
現地の方とご一緒すると、
経済の混乱と物資不足の時代の
苦労のお話をよく聞くものです。
金利や物価、為替の安定は
投資家にとってもちろん重要ですが、
【当たり前の生活】
の為に重要なものです。
本日は少し細かく
数字を書いていきますが、
「なんだか大変だ!」と
感じていただければ大丈夫です^ ^
ロシア政府のWEBから探して
分かりやすい表を作ろうと思ったのですが、
大変になりすぎて断念したので、
【内閣府:経済社会総合研究所】
元大蔵省勤務:荒木信義さんのレポートから
数字を抜粋してご紹介させていただきます。
(だいぶ端折ります)
【内閣府:経済社会総合研究所】
「ロシアの為替政策」
http://www.esri.go.jp/jp/tie/russia/russia4.pdf
1992年ロシアは
市場経済へ移行しました。
市場経済とは、
財・サービスを
市場を通じて自由に売買することで、
価格の変動により
最適な資源配分をはかる
経済のやり方です。
これによって、ルーブルが
市場に公表されるようになり、
1ドル=125ルーブルからスタート。
年末には
1ドル=415ルーブルをつけ、
通貨安が急激に進行します。
モノの価格は上昇し、
年末までに消費者物価が25.1 倍。
急激なインフレーションが
始まりました。
25.1倍とは
元々100円で買っていたパンが
2,510円になっている感じです(汗
物価25倍に対して
ルーブル1/3ですから、
ルーブルは下がりつつも
物価の推移と比較したら、
下げ止まっていることがわかります。
これは、相対的にでも
ルーブル高にすることで、
海外のモノを安く買える
ようにコントロールし、
国民がモノを安く手に入れられるようにして、
国民の生活を守る為に行われていました。
ただ!
他通貨に比ると
ルーブル安は進行しているため
徐々にドル買いルーブル売りが加速します。
ロシアの中央銀行は
外貨を売ってルーブルを買い、
ルーブルの買い支えを行います。
中央銀行の外貨準備は
1993年には45億ドルあったものが
10月には18億ドルにまで急減。
徐々に外貨準備も底が見え始め、
買い支えをできなくなりました。
その結果、
1994年10月
1ドル=3,929ルーブルまで下落。
市場経済をスタートしてから
2年後のことです。
その後、
IMFから援助を受けることになります。
借受けの条件として盛り込まれたのが
ルーブルの安定政策の採用でした。
ルーブル相場を
一定のレンジ内の収める
コリドール制を導入。
1995年7月6日~11月30日まで
1ドル=4,300 ~ 4,900ルーブル。
1995年12月1日から
1ドル=4,550 ~ 5,150ルーブル
のレンジが採用されました。
採用されたレンジは
導入前よりもルーブル安ではありましたが、
物価の上昇率よりも
ルーブル安率が抑えられており、
実態よりも高く調整されている状態でした。
ルーブルが高ければ
海外の商品を安く仕入れることができますから、
物価上昇率は
1993年に840%、
1994年に215%、
1995年に131%。
そして、1996年には21.8%と
ついに2ケタ上昇にまで収まり始めました。
「これで混乱も収まるか??」
なんて見えそうになりますが、
そうはいきませんよね。
ルーブル高は
国内の輸出産業を圧迫することになります。
国内総生産は
1995年に4.1%減、
1996年もマイナス成長。
失業率も
1995年に8.8%、
1996年に9.3%、
1997年も9.0% という
高い水準になりました。
そして、
ルーブルを高く維持する為に
金利を上げる必要があり、
金利が上がれば
国内投資が鈍化し、
国内総生産も失業率も解決が難しくなります。
そして、
ルーブルを高いレンジに収めるには、
外貨売りルーブル買いをしますが、
その原資は借入れ、つまり国債発行。
そして自国通貨建国債です。
ロシア国内の銀行にとっても
ルーブル建短期国債の
物価上昇率を超える高金利は
大きな収益源となり、
外貨を借りてロシア国債を買う程になりました。
(民間融資りより儲かりますから、
民間投資がさらに低下します)
その後外国人投資家からも
需要が増えることになります。
自国通貨建国債は
ルーブル買いにつながり
ルーブル安攻防に貢献しました。
国債発行残高は急速に増加し、
1994年末の10兆ルーブルから、
1997年末の385兆ルーブルに急増。
対GDP比で1.7%から、14.3%になりました。
当然国債金利も高く、
償還に苦しむようになり、
償還する為に国債を発行する
自転車操業に陥り、
財政に苦しむようになりました。
ここで遂に
1998年1月1日
デノミネーションを実施します。
ルーブルを1000分の1に切下げ
1ドル=6.2ルーブルに固定。
旧1,000ルーブルが、
新1ルーブルとなりました。
苦しい中で意を決して
再出発を切ったロシアでしたが、、、
そんな時に、
原油の国際価格が下落。。
1997年の
1バーレル当たり19.30ドルから、
1998年には13.22ドルに。
石油依存度の高いロシアにとって、
石油輸出収入減は、
財政収支の悪化を助長。
タイ発アジア通貨危機から、
ルーブルも余波を受け、ルーブル売りが殺到。
株式、債券、ルーブルが下落しました。
これを吸収するために
政策金利50%を一気に
150%に引き上げましたが、
ルーブル売りが度々起こり
政府のルーブル買いも追いつかず、
1998年8月にロシア危機につながり、
結果、9月変動相場制に移行、
債務返済の90日間返済停止を発表(デフォルト)。
国は借金を重ね
財政が混乱状態。
高金利と資金不足で
企業の投資も進まず経済が停滞。
物価上昇。物資不足で
国民の生活は困窮。
さらにロシアにとって
足を引っ張る事件が立て続けに起こる。。
これが経済政策の失敗の
辿り着く先なのでしょうか。。
恐ろしい時代です。
1999年3月、原油価格が
OPECの総会での
減産をきっかけに上昇し、
2000年3月には
1バ-レル=30ドルを上回りました。
ルーブルが
本来の価格に下落したことで
ロシアの輸出品が価格競争力を手に入れ
企業が生産を伸ばし輸出増。
輸出が伸び、
原油も高値で売れたことで、
1999年貿易収支は362億ドルの黒字化し、
経常黒字も拡大。
柱である原油と、
無理のないルーブル安が
国内の産業を活性化させ、
ロシア経済の回復につながりました。
ここまで、
ロシア連邦が生まれてから
9年間の出来事です。
ロシアの歴史を見ると
驚くものばかりですが、
それを左右したのは、
私たちの身の周りにある
物価や為替や金利など経済です。
経済を学ぶことの大切さ
を感じますよね。
まずは教養として知り、
できればその知識を投資に活かし、
自身の生活も豊かにしていきたいものです
(*´꒳`*)
まだまだロシアの困難は続きます。
それではまた明日!
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