海外投資のGIA長谷川です^ ^
前回は
・メンテナンスに手抜きはNG
・香港の銀行の強みが生きる
・綺麗な法人は買取話も浮上する
・リスクの備えはどの国も同じ
についてお話ししました。
「デモが起きているから」
などという特別なことではなく、
投資家として
当然のことを行うことが大切
だと伝わったと思います^ ^
ただこれが、
香港のような条件の場所でなければ
引上げを判断していたかもしれません。
この辺りはもう少し先で書きますね*
今回からはまず、
「なぜ香港でデモが行われているのか?」
取り上げます(*´꒳`*)
現在の香港は、
中国の中にあっても
香港独自の高度の自治を認められた、
一国二制度という
特別な方法で成り立っています。
香港はもとから中国なのに
なぜデモが行われているのか?
①イギリスの植民地になった
②150年もイギリス領だった
③法律に約束された自由の侵害
主にこの3つがポイントです。
今回は①を取り上げます。
17世紀に入り、
中国は「清」の時代を迎えました。
清王朝が広がる18世紀、
イギリスの東インド会社の船が
入ってくるようになります。
▼イギリス東インド会社
イギリス東インド会社は
広州でのお茶の輸入ルートを確立。
▼現在の広州と香港の位置
イギリスではお茶がブームとなり、
中国茶がイギリス東インド会社の
主力商品となりました。
お茶は一時期、
イギリス東インド会社の貿易額の
実に8割を締める勢いだったようです。
ここで問題となったのは、
清側ではイギリスから買いたいものが
あまりなかったことです。
この状態が続くと起きるのは、、
現在の世界経済でも
ネガティブな要因となっている
「貿易摩擦」ですね。
イギリスは
対清貿易で大量の貿易赤字になり、
支払いに使っていた銀が
大量にイギリス国外に流出し
国として問題になりました。
「それでもお茶は欲しい。。」
イギリスは
アンバランスを解消するための、
売り物を探すことになります。
当時イギリスは
インドを植民地にしています。
ここではある商品が作られていました。
「○○○を清に売れば解決だ!!」
という話に行き着き、
その商品というのが、
問題の「アヘン」です。
▼インドのアヘン工場の倉庫
清にアヘンが大量に流入し
多くの国民に被害が広がりました。
そして今度は清が貿易赤字に。
銀での支払が増えることで
清から銀が大量流出し、
清国内で銀価格が高騰。
清の経済を混乱させ、
清の財政難を助長し、
大変なことになりました。
1839年清政府は、
アヘンの吸飲者・販売者への
死刑の執行を宣言(汗
イギリスの商人には
アヘンの引き渡しを要求。
引き渡されないので
貿易停止、商館閉鎖。
アヘンを大量に押収し、焼却。
イギリスは
焼却されたアヘンの賠償を要求しますが、
交渉は破断し
イギリスは海軍を派遣。
1840年
『アヘン戦争』が始まります。
イギリス軍は
広東の河口を封鎖、
舟山島および定海県城を占領、
広東諸砲台・香港島占領、厦門攻陥。
双方は交渉と攻撃を繰り返しながら、
イギリス軍が上海も占領します。
▼イギリス海軍の進撃ルート
1842年8月29日
南京への攻撃寸前に再度協議を開始。
イギリス軍の
圧倒的な火力を前に、
イギリス有利に偏った
『南京条約』の締結で
アヘン戦争は終結しました。
この中に、
香港の割譲が盛り込まれ、
香港はイギリスの植民地になります。
▼イギリス軍艦内で締結
グローバルな流れの中で
貿易摩擦という大変な問題が起き、
双方に適正に
対処する術がなかったため、
ギャップを埋める手段として
「アヘン」という答えが見出され、
暮らす人達の生活が脅かされました。
政治、財政、安保、
多国間の法律・規制、
行き過ぎた格差の是正の必要性など、
現代の世界にも共通する課題が
背景にあったわけですね。
香港が
イギリスに引き渡されることになった
まずはその流れを取り上げました。
次回
イギリス占領下の香港を取り上げます。
どうぞお楽しみに(*´꒳`*)
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※続章はまた後日お楽しみに^ ^
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