大学院を出た卒業生たちが就職できる研究の役職等のポスト不足で定職に就けずにアルバイトを掛け持ちするフリーター化している問題を紹介する著書。
大学院は日本の学校教育における最高学府のはずだが、そこに入学して勉学に勤しむ人間はかつては少なかった。しかし、グローバル化に伴う世界に通用する研究者を育成するために国策として大学院を増やした。
そこには「支援金」という国家からの援助があり、それを目当てに大学院を新設した大学も多かった。
けれど、日本は少子化で子供が減少している。それなのに大学院という箱だけ作っても学生が集まらなければ意味がない。
が、日本のバブル崩壊後の不況という追い風が吹いた。大学卒の一斉就職に炙れてしまった学生を言葉巧みに大学院に進学させたのだ。それにより大学は更なる収入を得ることが出来、行き場の無かった大学生も急場を凌ぐ場所を得た。
けれど大学院を卒業しても日本の不況は改善せず、大学院卒業生を企業は大学生より積極的には採用しなかった。そもそも卒業時の年齢が若くても20代後半である。若さしか取り得のない新入社員と言ってもいいのに、その若ささえないような人という扱いだった。
本来なら学問の専門家として後人を導くべき地位を用意するべきだが、日本の大学では教授などのポストは少なく基本的にコネなどで決まる。そうなると大半の大学院生はいつ空くかも判らないポストに運よく採用されるまで只管大学院に籍だけを置いたまま、いくつもの仕事を掛け持ちして研究を重ねるうちに30代・40代になってしまい人生を棒に振ってしまうという事態が続出した。
これは専門的な分野を長年学んできたのに全く関係ないことをし始めたら、今までの自分が積み上げてきた知識・学問を否定することになってしまうため、多くの大学院生が決断が出来ずしがみ付こうとしてしまったことも背景にはあった。
要は金目当てに学生を大学院という名の「蟻地獄」に誘い込み、就職先は自己責任として投げ出したのだ。
如何に無知な若者が多かったにせよ、それを国策として実行したのに責任を丸投げするようでは醜悪の誹りは免れられないだろう。
解決策としてはもう研究や教授などの職に拘らず「全く異なる分野」へ舵を切るしかないとしている。
それが出来ないとやはり年齢ばかりを重ねてまともな仕事も出来ない・経験のない人間になり本当に人生を無駄にしてしまうだろう。
どこかで見切りを付けなければならない。学んだことを役立てられる分野を他で探したほうが遥かに前向きで賢明だという結論である。

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高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書) 新書 – 2007/10/16
水月 昭道
(著)
大学院重点化というのは、文科省と東大法学部が知恵を出し合って練りに練った、成長後退期においてなおパイを失わん都執念を燃やす"既得権維持"のための秘策だったのである。
折しも、九〇年代半ばからの若年労働市場の縮小と重なるという運もあった。就職難で行き場を失った若者を、大学院につりあげることなどたやすいことであった。若者への逆風も、ここでは追い風として吹くこととなった。
成長後退期に入った社会が、我が身を守るために斬り捨てた若者たちを、これ幸いとすくい上げ、今度はその背中に「よっこらしょ」とおぶさったのが、大学市場を支配する者たちだった。(本文より)
折しも、九〇年代半ばからの若年労働市場の縮小と重なるという運もあった。就職難で行き場を失った若者を、大学院につりあげることなどたやすいことであった。若者への逆風も、ここでは追い風として吹くこととなった。
成長後退期に入った社会が、我が身を守るために斬り捨てた若者たちを、これ幸いとすくい上げ、今度はその背中に「よっこらしょ」とおぶさったのが、大学市場を支配する者たちだった。(本文より)
- 本の長さ217ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2007/10/16
- ISBN-104334034233
- ISBN-13978-4334034238
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商品の説明
著者について
水月昭道(みづきしょうどう)
1967年福岡県生まれ。龍谷大学中退後、バイク便ライダーとなる。仕事で各地を転々とするなか、建築に興味がわく。97年、長崎総合科学大学工学部建築学科卒業。2004年、九州大学大学院博士課程修了。人間環境学博士。専門は、環境心理学・環境行動論。子どもの発達を支える地域・社会環境のデザインが中心テーマ。2006年、得度(浄土真宗本願寺派)。著書に『子どもの道くさ』(東道堂)、『子どもたちの「居場所」と対人的世界の現在』(共著、九州大学出版会)など。現在、立命館大学衣笠総合研究機構研究員および、同志社大学非常勤講師。任期が切れる2008年春以降の身分は未定。
1967年福岡県生まれ。龍谷大学中退後、バイク便ライダーとなる。仕事で各地を転々とするなか、建築に興味がわく。97年、長崎総合科学大学工学部建築学科卒業。2004年、九州大学大学院博士課程修了。人間環境学博士。専門は、環境心理学・環境行動論。子どもの発達を支える地域・社会環境のデザインが中心テーマ。2006年、得度(浄土真宗本願寺派)。著書に『子どもの道くさ』(東道堂)、『子どもたちの「居場所」と対人的世界の現在』(共著、九州大学出版会)など。現在、立命館大学衣笠総合研究機構研究員および、同志社大学非常勤講師。任期が切れる2008年春以降の身分は未定。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年4月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2018年9月24日に日本でレビュー済み
大変興味深く読ませていただきました。私自身、大学院の博士課程まで進んだもののなかなか就職が決まらず悶々としていた時期がありましたので、とても他人事とは思えませんでした。その後どうにか落ち着き先が見つかり、現在に至っておりますが……。
しかし、です。「運も実力のうち」という言葉がありますよね? 個人の才能や努力もさることながら、やはりそれなりの人にはいつかはそれなりの運がめぐって来るのではないでしょうか? 少なくとも私はそう信じています。「ドブに落ちても根のあるやつは、いつかはハチスの花と咲く」です(笑)。著者のいわゆる「ノラ博士」たちに同情すべき点も多々あるとは思うのですが、一抹の「甘え」もあるように感じられました。
ゴンズの親分「フフフ、貴様も知っていよう。運も実力のうちという言葉をな!」
他の本からの引用(レビュータイトルも)ですが、こんなことが書いてあります。
「……そもそも大学院に行く必要がある人間なんて、そうはたくさんいないと思うけどね。……学歴ばっかり高くなっても、つまらない仕事はしたくないっていう気持ちを高めるだけだよ。……院卒のオレ様のプライドにふさわしい仕事がしたいとか思っちゃうわけだ。……大卒が50%の時代になったからって、仕事も大卒用の仕事が50%になってればいいけど、そうじゃないからね。……結局、大卒者にふさわしい仕事なんてせいぜい全体の2割くらいなんじゃないかな。」(三浦展『下流大学が日本を滅ぼす!』ベスト新書 この本もさんざんたたかれてるみたいですけど、私は結構面白く読みました)
院卒にふさわしい仕事は、なおさら少ないでしょうね。著者も言うように、日本の社会はやはり学部卒を基準に成り立っていますから、仕方ありません。それに日本的な「平等主義」という問題もありますしね。「人間すべからく平等で、ありとあらゆる特権的なものを認めない」という価値観、思想が一方にある以上、博士の学位をとっても、何らかの優遇措置が与えられる、などと期待しない方がいいんじゃないでしょうか。ちなみに某宗教団体では「みんなが幸福博士」です(笑)。
ジャギ「その宗教団体の名を言ってみろ~!」
ガルフ「◯◯◯◯だなんて……それを先に言ってれぼ!」
それに、です。もし運よく大学に就職が決まったとして、必ずしも万事めでたしとも限りませんよ。大学院生として自分の好きなことを研究したり論文を書いたりするのと、教壇に立って学生に本当に初歩的なことを教えるのとは、全然別の話ですからね。学生に自分と同じレベルの話がそのまま通じると思ったら大間違いです。
たとえば、ある人がピアノをとことんきわめて、ショパンコンクールに出るくらいの腕前になったとします。でもその人が今度はピアノの先生になり、ごく普通の子どもたちにピアノを教える立場になったとします。その場合その先生は、自分と同じレベルを生徒たちに要求できるでしょうか? 先生はショパンの練習曲が朝飯前でも、教わる子どもはショパンどころかブルクミュラーの練習曲もまだちゃんと弾けません。ブルクミュラーどころか、バイエルすらむずかしい子もいたりします。少し上手な子でも、せいぜいツェルニー30番かソナチネアルバム程度。がんばってハイドン・モーツアルトのやさしいソナタくらい。これではショパンの練習曲を教えるなど夢のまた夢です。「学びをきわめた」(著者の表現)博士がイマドキの大学の教壇に立つというのは、そういうことを意味するんですよ。つまり、ショパンの練習曲を弾ける人が、子どものバイエルの面倒を見なければならない、という。でもそれが「仕事」というものです。
いくら何でも大学や大学生がそこまでレベルが低いはずがない、とお思いでしょうか? でも確か『最高学府はバカだらけ』『アホ大学のバカ学生』なんて本も出てますよね(笑)。ま、控えめに言っても、今の大学や学生に、あまり過大な期待や幻想を抱かない方がいいでしょうね。ですからものは考えようで、自分の好きな研究だけをのびのびとやっていたいというなら、むしろ大学なんかに就職が決まらない方がいいかも知れませんよ。実際「大学にいると(研究以外のことに時間をとられて)自分の研究ができない」と言ってやめる先生はおられるそうですね。
それからついでに、博士の学位などというものにあまり実社会での現実的な効用を期待しない方がいいんじゃないでしょうか。著者自身「足の裏の米粒」と書いておられますが、まったくその通り(笑)。私の場合は就職が決まってからともかくも課程の学位を取りましたが、ヒーヒー言いながら論文を書いたというのに、その後特に何の変化も起こりません。あの一年間は一体何だったのか、とまあそんな感じですね。博士号の神通力なんて、そんなものどこにもありゃしません。
バーテン「ないない、そんなものはどこにもない!」
拳王の手下「グワハハハ 何が博士号だ! メシが食えなきゃただのションベンよ!」
ジャギ「博士号の神通力など存在しねえ!!!」
神通力を期待するなら、それこそご本尊様にお題目の方がマシでしょうね(笑)。
ミスミのじいさん「博士号よりお題目なんじゃ……」
まとまりのないレビューで恐縮です。それではまた。ごきげんよう。
追伸 最後に一言。本の内容はともかく、私は、この著者の文章力はすばらしいものがあると思っています。これからもすぐれたライターとしてご活躍ください。
しかし、です。「運も実力のうち」という言葉がありますよね? 個人の才能や努力もさることながら、やはりそれなりの人にはいつかはそれなりの運がめぐって来るのではないでしょうか? 少なくとも私はそう信じています。「ドブに落ちても根のあるやつは、いつかはハチスの花と咲く」です(笑)。著者のいわゆる「ノラ博士」たちに同情すべき点も多々あるとは思うのですが、一抹の「甘え」もあるように感じられました。
ゴンズの親分「フフフ、貴様も知っていよう。運も実力のうちという言葉をな!」
他の本からの引用(レビュータイトルも)ですが、こんなことが書いてあります。
「……そもそも大学院に行く必要がある人間なんて、そうはたくさんいないと思うけどね。……学歴ばっかり高くなっても、つまらない仕事はしたくないっていう気持ちを高めるだけだよ。……院卒のオレ様のプライドにふさわしい仕事がしたいとか思っちゃうわけだ。……大卒が50%の時代になったからって、仕事も大卒用の仕事が50%になってればいいけど、そうじゃないからね。……結局、大卒者にふさわしい仕事なんてせいぜい全体の2割くらいなんじゃないかな。」(三浦展『下流大学が日本を滅ぼす!』ベスト新書 この本もさんざんたたかれてるみたいですけど、私は結構面白く読みました)
院卒にふさわしい仕事は、なおさら少ないでしょうね。著者も言うように、日本の社会はやはり学部卒を基準に成り立っていますから、仕方ありません。それに日本的な「平等主義」という問題もありますしね。「人間すべからく平等で、ありとあらゆる特権的なものを認めない」という価値観、思想が一方にある以上、博士の学位をとっても、何らかの優遇措置が与えられる、などと期待しない方がいいんじゃないでしょうか。ちなみに某宗教団体では「みんなが幸福博士」です(笑)。
ジャギ「その宗教団体の名を言ってみろ~!」
ガルフ「◯◯◯◯だなんて……それを先に言ってれぼ!」
それに、です。もし運よく大学に就職が決まったとして、必ずしも万事めでたしとも限りませんよ。大学院生として自分の好きなことを研究したり論文を書いたりするのと、教壇に立って学生に本当に初歩的なことを教えるのとは、全然別の話ですからね。学生に自分と同じレベルの話がそのまま通じると思ったら大間違いです。
たとえば、ある人がピアノをとことんきわめて、ショパンコンクールに出るくらいの腕前になったとします。でもその人が今度はピアノの先生になり、ごく普通の子どもたちにピアノを教える立場になったとします。その場合その先生は、自分と同じレベルを生徒たちに要求できるでしょうか? 先生はショパンの練習曲が朝飯前でも、教わる子どもはショパンどころかブルクミュラーの練習曲もまだちゃんと弾けません。ブルクミュラーどころか、バイエルすらむずかしい子もいたりします。少し上手な子でも、せいぜいツェルニー30番かソナチネアルバム程度。がんばってハイドン・モーツアルトのやさしいソナタくらい。これではショパンの練習曲を教えるなど夢のまた夢です。「学びをきわめた」(著者の表現)博士がイマドキの大学の教壇に立つというのは、そういうことを意味するんですよ。つまり、ショパンの練習曲を弾ける人が、子どものバイエルの面倒を見なければならない、という。でもそれが「仕事」というものです。
いくら何でも大学や大学生がそこまでレベルが低いはずがない、とお思いでしょうか? でも確か『最高学府はバカだらけ』『アホ大学のバカ学生』なんて本も出てますよね(笑)。ま、控えめに言っても、今の大学や学生に、あまり過大な期待や幻想を抱かない方がいいでしょうね。ですからものは考えようで、自分の好きな研究だけをのびのびとやっていたいというなら、むしろ大学なんかに就職が決まらない方がいいかも知れませんよ。実際「大学にいると(研究以外のことに時間をとられて)自分の研究ができない」と言ってやめる先生はおられるそうですね。
それからついでに、博士の学位などというものにあまり実社会での現実的な効用を期待しない方がいいんじゃないでしょうか。著者自身「足の裏の米粒」と書いておられますが、まったくその通り(笑)。私の場合は就職が決まってからともかくも課程の学位を取りましたが、ヒーヒー言いながら論文を書いたというのに、その後特に何の変化も起こりません。あの一年間は一体何だったのか、とまあそんな感じですね。博士号の神通力なんて、そんなものどこにもありゃしません。
バーテン「ないない、そんなものはどこにもない!」
拳王の手下「グワハハハ 何が博士号だ! メシが食えなきゃただのションベンよ!」
ジャギ「博士号の神通力など存在しねえ!!!」
神通力を期待するなら、それこそご本尊様にお題目の方がマシでしょうね(笑)。
ミスミのじいさん「博士号よりお題目なんじゃ……」
まとまりのないレビューで恐縮です。それではまた。ごきげんよう。
追伸 最後に一言。本の内容はともかく、私は、この著者の文章力はすばらしいものがあると思っています。これからもすぐれたライターとしてご活躍ください。
2010年2月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
博士号をとったものの就職できず,無給にちかいのに大学で必死に働き,論文を書くフリーターをえがいている. おなじ著者の 「アカデミア・サバイバル ― 「高学歴ワーキングプア」 から抜け出す」 をさきに読んだ. それとくらべるとこの本はまだ救いがあるが,それはこの本以降にさらにきびしい状況になっているということだろうか.
2020年4月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
はじめに注意しておくが、本書での高学歴ワーキングプアというのは本来の意味での学歴、つまり学士、修士それに博士を出たという意味で、大学の偏差値によるものではない。
つまり、博士を出たにもかかわらず日の目を浴びない人たちに焦点を当てている。そのような人たちを学術的視点ではなく、当人視点で描いたのが本書である。
ほとんどの主張はデータを伴っておらず、著者がインタビューした人物の発言を根拠としている。実際、それには誇張されているものもある。その意味で、高学歴ワーキングプアの実情を正確に知りたいという読者にはおすすめできない。
しかし、博士号持ちの実態を知られていない中で、今まで話題にも上がらなかった問題をキャッチーに取り上げたという点で評価されるべき作品だ。この意味で星4とする。
つまり、博士を出たにもかかわらず日の目を浴びない人たちに焦点を当てている。そのような人たちを学術的視点ではなく、当人視点で描いたのが本書である。
ほとんどの主張はデータを伴っておらず、著者がインタビューした人物の発言を根拠としている。実際、それには誇張されているものもある。その意味で、高学歴ワーキングプアの実情を正確に知りたいという読者にはおすすめできない。
しかし、博士号持ちの実態を知られていない中で、今まで話題にも上がらなかった問題をキャッチーに取り上げたという点で評価されるべき作品だ。この意味で星4とする。